いろいろな考え方

実験中、席をはずし、戻ってきたところ、”タイマー鳴ってたよ!”って言われたらどう答えますか?
おそらく98%の日本人は、”あー、うるさかった?ごめんねー!”だと思う。
でもここでは、”あー、まだ2分しか過ぎてないから、No problem!”

自分の実験台の隅に自分のものではないものが置いてある時、その物の持ち主に、
’これおきっぱなしになってるよー!”って伝えたとする。
おそらく98%の日本人は、”あ、ごめん。邪魔だった??”って言うと思う。
でもここでは、”今そのバッファー使ってるんだよ!”って答える。

まあ、これは極端な例なのだけど、こういうことが多々あります。
日本人は、最初に「相手」がどうして自分に物を言ってくるんだろう?って考えて、それに対する応答をする。
でもアメリカでは(全員ではありません。しかもアメリカ人とか、特定の人種でもないのですが)、「自分が」どうしてそうしてるのか、「自分」にとってそのことが問題なのか問題ではないかの話を伝える。

最近思うのは、あまりに多種多様な人が暮らすこの国では、’相手のことを考えて物を言う’っていうことが非常に難しいのではないかと。。。
’相手のことを考えて物を言う’って、言っても、つまりそれを考えてるのは「私」だからね。
相手の考えかたが自分と似ているのであれば問題ないけど、全く違う考えの持ち主だったら、いくら「相手のことを考えて」ても、まったく見当違いになってしまうわけです。

’相手のことを考える’って日本の良い文化だと思うけど、どこでもうまくいくわけではない。
アメリカ人が自己主張が強くなるのは、こういうバックグラウンドによるものなんだと思う。
自分はこう思う、こう考える、って言わなきゃわからない。しつこいくらいみんなに言いまわって、自分を理解してもらおうとする。
そして、あまりにいろんな人がいるってことを肌身でわかっているので、許容範囲(懐)が広いのも、アメリカの良い点だと思う。
それでも、何でも自己主張したものが良い待遇を受けやすい、’言ったもの勝ち”みたいなところがあって、それはちょっと・・・って思うことも多々あるのだけれどね。

が、なんだーかんだーいって、3年も居ついているってことは、私、こういう状況が嫌いではないようです。