求めよ、さらば与えられん
マタイによる福音書の有名な一説。クリスチャンでも何でもない私だけど、学生時代に聖書を読む機会をそれなりに持っていた私にとって、ふとした時に、言葉が出てくるのは珍しいことではありません。
こんなことできたらいいな、あんなことできたらいいな、って思っていることを、ダメもとでとりあえず相手に話してみる。意外に自分の望む方向に行くことがあるものです。今週、そういう経験をしました。ちょっと勇気出して、提案したら、いとも簡単にアクセプトされました。
ダメでもともと、受け入れられたらラッキーっていうスタンスでいるのは大切なことだなと、思いました。
でも一方で、求めているものが、より難しくシリアスなものだと(今回のは全くシリアスでも難しいものでもなかったので)、求める前にいっぱい考えてしまいそうだし、考えると行動がにぶる。しかも求めた結果、受け入れられたら嬉しいけど、ダメだった場合のダメージが大きい。あまり何事もシリアスにしないのが重要だと思う。
自分で結果をコントロールできないことは考えすぎず、相手に何かを求めるような内容の時には、早い段階で行動を起こすのがいいのかな。まあ、なかなか頭で思ったことを実行するのは難しいのだけどね。
ちなみに私の宗教観。一神教(キリスト教、ユダヤ教、イスラムは良く知らない)は個人の成功(競争社会での成功)のためのヒントは多いと思う。教訓が具体的でわかりやすい。でも敵をつくりやすい。善が存在したら悪が存在し、悪は敵だからね。
多神教、無神教は、全体を包括する感じ。個人の平和を求め、結果として全体の平和をもたらす。敵の想定がないのが良い。でも個人的な成功(競争社会での成功)には向いていないような気がする。
私はきわめてフレキシブルなので、仕事でアグレッシブにならざるを得ない時は前者、少し平和を感じたいときは後者を参考にすることが多い。
たまーに(いつもこんなこと考えている訳ではありません)こういうこと考えていて思うのは、いつの世も、みんな生きるの大変だったのだなということ。何かの軸を必要としてる。
たくさん読んで聞いて話して、自分なりの軸で進む限り、人生ハッピーだと思う。
あー、土曜日の朝から何考えてるんだろ。
(極めて、私、元気です。)